「不安な心に訪れた平安」:私の回心の物語 | オリベット・アッセンブリー宣教師の恵みノート

私はどのようにしてクリスチャンになったのか。

こんにちは、オリベット・アッセンブリーのイ・ハンナ(Lee Hannah)宣教師です。今日は私がどのようにしてクリスチャンになったのか、私の回心の物語を分かち合いたいと思います。

1.幼い頃から心の中にあった恐れと、神様に対する漠然とした思い

私は幼い頃から、神様はおられるのではないかとぼんやり思っていました。誰かに教えられたわけでもないのに、心のどこかに、目には見えない神様に対する漠然とした思いがありました。同時に、私はとても怖がりな子どもでした。夜に一人で外へ出るのがいつも怖く、何かが自分の後ろをついて来るような恐れをよく感じていました。金縛りにもよくあいました。

今振り返ると、あの頃の私は霊的に敏感だったのではないかと思うこともあります。もちろん正確なことは分かりませんが、幼い頃の私はいつも説明のつかない不安と恐れの中にいました。

2.障がいを持ちながらも、誰よりも平安だった長女の信仰

私は4人きょうだいの末っ子でした。上に長女、兄、姉がいて、長女とは実に11歳も年が離れていました。長女は母のように私の世話をしてくれ、いつも温かく優しく接してくれました。私はそんな長女のことが本当に大好きでした。

ところが実は、長女は足の不自由な障がい者でした。しかし私はあまりにも幼い頃から姉を見て育ったため、その障がいを特別なものとして意識していませんでした。むしろ成長するにつれてよりはっきり感じたのは、この世には体は健康でも心が壊れている人が多いけれど、私の姉は誰よりも健やかで平安な心を持っている人だったということでした。

そしてその心の平安と喜びは、神様を信じる信仰から来ていたのです。
長女は小児麻痺のため、幼い頃から何度も手術を受けなければならず、つらい入院生活の中で神様に出会ったと話していました。両親は熱心な仏教徒でしたが、姉がキリスト教の信仰を持つことを止めませんでした。おそらく両親も、姉が神様を信じることで力を得ている姿を見ていたからだと思います。

3.小学生の時、初めて教会に通って経験した平安

私はそんな長女について行って、小学生の時に初めて教会へ通うようになりました。もともと私は心配性で不安の強い子どもでした。試験を受けている最中に急にパニックになり、答案用紙が真っ白に見えてしまって、泣きながら試験をあきらめたことさえあるほどでした。

ところが不思議なことに、教会へ行くと私の心は平安になりました。翌日に試験があったとしても、教会の中にいると不思議なくらい心が静かになりました。その平安を私は今でもはっきり覚えています。今思えば、神様は幼い頃の私にすでに出会っていてくださったのだと思います。

しかし両親は、私が教会へ行くことに反対しました。姉は仕方がないけれど、お前はだめだと言われました。まだ小さな子どもが教会へ行って何かを受け取るばかりで、教会のために献金をするわけでもないのに、なぜ行くのかと言われたのです。結局、私は教会へ行けなくなりました。

家で一人で礼拝をささげてみようともしましたが、私ひとりではそれを長く続けることは難しいことでした。そうして私は次第に教会から遠ざかっていきました。

4.教会を離れていた時間、それでも神様は私を手放されなかった

教会から遠ざかっていた後、中学生の時に私を本当に大切にしてくれる友人Aに出会いました。その友人は生まれた時からのクリスチャンで、私のために本当にたくさん祈ってくれました。私は両親の反対を避けて、こっそり教会へ通ってはまた行けなくなることを繰り返していました。それでも高校3年生の時には、受験という大きな重圧の前で切実な思いが生まれ、しばらく熱心に教会へ通ったこともありました。

しかし大学に入ってからは、世の中の楽しさや文化が私の心を急速に蝕んでいきました。そしてその頃に読んだ一冊の本が、私の考えを大きく揺さぶりました。その本は「黄金のうろこ」でした。その中には、このような趣旨のことが書かれていました。
神様が本当に愛の神、赦しの神なのであれば、どうして天国と地獄をお造りになったのだろうか。そのような神様ではないはずだ。

その言葉は私の心に大きな衝撃を与えました。私自身も神様は愛の神だと信じていたので、地獄の存在を簡単には受け入れられませんでした。何より、私があまりにも愛し尊敬している両親が、イエス様を信じないという理由だけで地獄へ行かなければならないという考えは、私にとってあまりにも苦しい問題でした。

結局私は、聖書の神様をそのまま信じるのではなく、自分の考えに合う神様を作り始めました。今振り返れば、あの時が人生で最も高慢だった時期だったと思います。神様を信じていると言いながら、実際には神様ではなく、自分の都合に合わせて自分が作り上げた神を信じていたのです。

5.神様に出会った決定的な瞬間、私の回心の証

そんなある日、いつも私のために祈ってくれていた中学時代の友人Aと、久しぶりに再会しました。私はいつもその友人のことを、神様と私をつなぐ細い糸のような存在だと感じていました。

その友人は会うたびに、自分が出会った神様のこと、聖書を読みながら受けた恵みのこと、イエス様の福音のことを私に話してくれました。しかし私は、ほとんどいつも片耳で聞いて片耳で流していました。けれどその日は違いました。

友人がいつものように神様のことや恵みについて楽しそうに話しているうちに、突然、私の心の奥から説明のつかない深い悲しみが押し寄せてきました。私の表情がおかしくなったのか、友人が「ジヨン、どうしたの?」と尋ねました。その言葉を聞いた瞬間、私は自分でも気づかないうちに涙があふれ出しました。

私は「自分でもどうしてこうなるのか分からない」と言いながら、声をあげて泣き始めました。

その時の私の人生は、外から見ればとても順調でした。専攻も面白く、これからさらに勉強して研究所に入り、社会的な地位を得て、ある程度人を助けながら生きていきたいという計画もありました。そしてその道は順調に進んでいました。それなのに涙は止まりませんでした。

今振り返ると、あの日、私の魂が泣いていたのだと思います。神様を失っていた私の魂が、深い悲しみの中にあったのです。そしてイエス様と共に歩み、恵みの中で生きている友人の姿がとても羨ましかったのだと思います。

その友人は私の手をしっかり握って、私のために祈ってくれました。そして自分が感じた神様の御心を伝えてくれました。私を愛しておられる神様、私に対するご計画を持っておられる生ける神様の御心を感じた時、私の内側のすべてが崩れ落ちるようでした。
その瞬間、私は完全に砕かれました。そして神様が私の人生の中心に入って来られるのを感じました。

それまでは信仰生活をしているつもりでも、実は自分が中心でした。神様は私の人生の片隅におられるだけで、私は自分の思い通りに生きていたのです。しかしあの日、私は徹底的に砕かれ、主が私の人生の本当の主人になられました。

それこそが、私がイエス様に人格的に出会った瞬間であり、私の人生における真の回心の瞬間でした。

6.主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます

その日、夜遅くまで友人と一緒に祈った後、帰りのバスの中で私の目は泣きはらして腫れていました。そんな時、心の中にこの御言葉が浮かびました。

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。

その御言葉を思い巡らしながら、私はこう考えました。神様が主から離れていた私を再び探し出し、信仰の道へ導いてくださったのは、ただ私一人のためだけではなく、私を通して家族も救おうとしておられるからではないか。また、神様が地の果てまで福音を伝えなさいと言われたのも、誰一人として滅びることを望んでおられないからではないか。天国と地獄があるのは何か神様の事情があるのではないか。

その時私は切実に悟りました。自分があまりにも聖書を知らないということを。私は教会へ行っても日曜礼拝にかろうじて出る程度で、説教の時間にもよく居眠りをしていました。神様について知っているつもりでしたが、実は聖書に対してあまりにも無知だったのです。

だからその日以来、私は本当に聖書を知りたくなりました。神様の御心を正しく学びたくなりました。それが私の信仰の新しい出発点でした。

7.新しく生まれた日、私がクリスチャンになった理由

家に帰ってからも私は部屋に入って長い間泣きながら祈りました。そしてふと、できることなら今すぐ死にたいとさえ思いました。

なぜなら、ようやく本当に神様に出会い、神様が私の人生の中心に来てくださったのに、このまままた世の中を生きていくうちに、再び世に流されて信仰を失ってしまうのではないかと怖かったからです。

けれど同時に、今の私は生まれたばかりの赤ん坊のようなものだという思いも与えられました。まだ始まったばかりで、これから成長し、学び、歩んでいく日々が残されているのに、今死んでしまってどうするのか、という思いでした。

そうです。私はあの日、新しく生まれました。


私がクリスチャンになった理由は、単に宗教を選んだからではありません。生ける神様に出会い、私の人生の主人は自分ではなくイエス様なのだと知ったからです。私はもともと強い人間ではありませんでした。怖がりで、不安も多く、この世の前で簡単に揺らいでしまう人間でした。けれど神様は、そんな私を長い間ずっと握っていてくださいました。

長女を通して、教会を通して、友人を通して、そして私の魂の深い渇きと願いを通して、神様は絶えず私を呼び続けておられました。

神様はそのように、皆さんのことも呼んでおられ、今もなお呼び続けておられるのだと思います。その主の呼びかけを、あなたは感じておられますか。

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